Vol.006 東日本大震災
今日、3月11日は「東日本大震災」が起こった日です。2011年(平成23年)3月11日14時46分18秒、宮城県牡鹿半島の東南東沖130kmの海底を震源とするマグニチュード9.0の大地震でした
。東京も震度5強の揺れを感じ、私は仕事中でしたが、院長の指示で外にあわてて飛び出しました。電信柱が”ガシャガシャ”と音を立てて、激しく横揺れしていました。そこに現れた薬問屋の営業Kさんは「車に乗っていると揺れがわからないけれど、道路が波打っていた」と話していました。地震の際は車は路肩に寄せて止まるように教習所で習っていましたが、地震に気が付かないのか何台かはそのまま走っていました。自宅に近い勤務先でしたのですぐ帰ることが出来、子供を迎えに学校へ行きました。校庭には全生徒が親が引き取りに来るのを待っています。その不安そうな顔を今でも忘れることができません。私の自宅はマンションの8階にあり、玄関を開けると、朝見た光景と一転、本棚、食器棚は倒れ、電子レンジも飛んでいました。ありとあらゆるものが落ちていて、足の踏み場もなく、静まり返った部屋の中、冷蔵庫のアラーム音が悲しく鳴り響いていました。その後の生活で一番困ったのは食料を買いたくても店に品物が無かったこと。店の開店時間もバラバラで、開店時間前には長蛇の列が出来、入場制限されました。牛乳やヨーグルトなどの乳製品、インスタントラーメン、お米、パンなど多くの品物が品薄でした。クリニックでも地震翌日には薬をもらいに来る患者さんが大勢お見えになり、あっという間に在庫がなくなってしまいました。また、計画停電も何度と無く行なわれ、いかに電気に頼った生活なのかを思い知らされました。
時間の経過と共に記憶が薄れつつあります。また起こるかも知れない大地震に備え、一人ひとりが防災について改めて考えなければと思います。今日、兼務しているクリニックの受付のKさんと院長先生と改めて東日本大震災について話してみました。それぞれが忘れないこと、後世に伝えて行く事が大事ですね。
数ヶ月前、宮城県出身の方で、ダンボールを集めそれを売って生活している人とお話したことがありました。その方のおばさんは津波で流され未だ行方不明だそうです。まだ、2千人以上の方が行方不明となっています。ひとりでも多くの方がご家族の元へ帰れるよう願わずにはいられません。
合掌