Vol.0045 女ひとりインド旅2 ~感染症~ [2014/08/28更新]
こんにちは!
不安定な天候が続いていますが、
みなさま、体調など崩されていませんか?
さてさて、今回は「女ひとりインド旅」の続きです。
女ひとりインド旅の計画を実行するにあたって、
「資金」「語学力」「時間」「周りの許可」
というハードルを突破し「インド旅まであと一歩」
まできたマツコでしたが…
インドに行くためにクリアしなければならなかった、敵。
それは…
赤点。
まさかの赤点…。
看護学生時代で、唯一の赤点でした。
忘れもしない、救急看護のテストでした。
いつも一緒に勉強をしていた友達と仲良く赤点。
問題は、10問くらいしかなく、ほとんどが説明する形式で答える
筆記問題だったと思います。
なんで、赤点になってしまったのかもよくわからない
そんなにできなかった感触もなかったのに。
ショックより、本当にびっくりの結果でした。
しかし、取ってしまったものは仕方がないので、
追試を受けるわけですが、それが、春休みにあるという…
もちろん受けなかったら、留年。
なかなか、日程が決まらずヤキモキしたのを覚えています。
まあ、どうにか旅行前に追試があり、合格してクリア。
しかし、それよりもっと強敵、
誰もが「私のインド行きを阻止する強敵」が現れたのです。
その名も
SARS
はい。
これはかなりの強敵でした。
SARSは当時、アジア圏を中心に流行し、
旅行先のホテルや飛行機の中で感染というケースも報告されていました。
そう、ちょうど、そんなSARSが大流行した時に
マツコのインド行きはかぶってしまったのです。
親はもちろん、学校も反対。
終業式の全校生徒の前で(名前こそは出されませんでしたが…)、考え直すように忠告されました。
でも、わがまま娘の言い出したら聞かない性格のマツコ
これで死ねたら本望じゃ!
と言い放ち、強行突破してしまいました。
でもまあ、基本は「ビビり」なので、
航空券を買った旅行会社や宿泊先に連絡を取り、安全確認をして
自分の中で最終的なゴーサインを出しました。
確かにきちんと安全確認はしましたし、
日本政府からも特に渡航の制限などはありませんでしたが
今、考えると感染のリスクはゼロではなく、
とてつもなく無知で無責任な行動だったと反省しています…。
そんな最後の大きな難関を二つ突破し
どうにか行けることになったマツコの日程は、
◆前半◆ コルカタ
マザー・テレサの「死を待つ人の家」でボランティア。
日本人妻がいる、日本人のボランティア専用の宿に宿泊しました
(宿は「地球の歩き方」に載っていました。
他の安宿に比べると割高ですが、学生割引と、3泊以上で
空港に迎えに来てくれるというサービスに惹かれました)
◆後半◆ コルカタ~バラナシ~アグラ~デリー
汽車を使用し、ひとり旅。
本当はバックパッカーで、宿を決めずに旅をする予定でしたが…
「親NG」が出たので、日本からネットで宿を取り、
修学旅行のしおりのようなものを作って親に送りました。
とはいえ、私が事前に計画していた後半スケジュールは、
前半にお世話になった「インドの母」にめった斬り。
どうやら、夜中に危険地域に着くなど、
それはそれは危ない計画だったそうな。
というわけで、電車時刻などを大幅に変更。
さらに行く先々の町で(お使いという名目で)
インドの母の友人を訪ね(そして助けてもらう)
インド版「はじめてのおつかいひとり旅」
になりました。
しかも、途中から仲間(?)もでき、
結局は、ほとんどヒトリ旅ではありませんでした。
詳しい旅行編は次回から!
とはいえ、もう、10年以上前のお話。
日記も記録もなーんにもないので、
自分の記憶をフル回転してお送りしております。
ちゃんと書けるか、自分でも心配です…
マツコ