Vol.0043 女ひとりインド旅 ~マザー・テレサ~ [2014/08/13更新]
こんにちは!
まだまだ、じんわり暑さ残る日々が続いていますね。
今日は、暑い国、インドに行ったときのお話をしようと思います。
(このお話は、ちょいと長いので何回かに分けてお話します)
◆まず、なぜインドか?
ボランティア活動を将来することを夢見ていたマツコにとって
奉仕の道で、尊敬しているのは
マザー・テレサでした。
夢破れた今でも、それは変わりません。
また、高校時代に大好きだった地理の先生が
元バックパッカーで、
授業中、教科書なんか一つも開けずひたすら自分のバックパッカー時代の話をしてくれました。
その中で、インドのマザー・テレサの施設に行ってボランティアをした話を聞き、
「私も行きたい!」
と思ってしまったのです。
マザー・テレサの施設に興味はあったものの、
「インドに行くなんて非現実」だと思っていましたが、
身近な人が行ったという事実を知り、それが現実に行ける距離だと感じたのでした。
高校を卒業し、看護学校に入学してからも、
行きたいという思いは募るばかりでした。
特に、看護師になる前に、
自分がやりたいボランティアの実際を見て、体験してみたい。
それがあれば、もっと目標を強く持って頑張れる。
と思うようになりました。
しかし、そう簡単に行ける場所じゃありません。
≪問題≫
1資金
2語学力
3時間
4周りの許可
■問題1:資金
これを解決するには、稼ぐしかありません。
バイト禁止の学校でしたが、こっそり家の近所の居酒屋さんで
バイトを始めました。
しかも、好条件☆
家から歩いて30歩
バイトは、私だけ!(シフトは自由、休みたいときに休める)
暇なときは、勉強OK!
賄い付き!
学校から帰ったら、ほぼ毎日行っていました。
カウンターとボックス席1つだけのこじんまりしたお店でしたし、
世の中の給料日前の時期になると、
お客さんがほとんど来ない日もあったので
勉強して、賄い食べて、店長や奥さんと話して帰る
ということも時々あって、最高のバイトでした。
何よりもお金を稼ぐ以上に、田舎から出てきて
親戚もいない場所で、そこは、第二の我が家でした。
結局、インド旅行の後も、看護学校を卒業するまでずっと働いていました。
卒業後から現在に至るまで、親交は絶えることなく
本当に私の第二の実家です。
さてさて、本題に戻り
■問題2:語学力
マザー・テレサの施設に行くには、色んなコースがありました。
スタンダードは、ツアーに入ることでした。
ツアーのほとんどは、ホームステイをしてそこからボランティアに通う
という内容でした。
しかし、はじめに書いた通り、マツコにインド旅を目覚めさせた先生は
バックパッカー。
インドのお話の中には、マザー・テレサの施設だけでなく
色んなインドの土地や珍事件の話もあり、
若いマツコは、もちろん影響を丸受けしており、
ついでに、一人で旅をしたい!
と安易に考えていました。
ということで、ツアーは却下。(あと、結構ツアーは高かった)
女ひとりインド旅決定!
でも、そうなると、誰も助けてくれない環境の中で
絶対必要なのが語学力です。
そもそも、インドは何語なんだ?
ヒンディー語?
いやいや、絶対無理!どこで習えばいいんや?
で、よくよく調べてみるとインドの公用語は、
ヒンディー語と英語
ということで、勉強すべきものは英語に決定!
でも、やっぱり習うにはお金が必要です。
有名な駅前の英会話スクールは、やっぱり高い…
そこで、私は、看護学校の英語の先生に相談し、
個人で安く自宅で英会話を教えている先生を紹介してもらい
約一年、インドに行くまで通いました。
そして、
■問題3:時間
看護学校は、義務教育と同じで、
夏休み、冬休み、春休みがあります。
時間だけを考えれば、夏休みですが、
インドの8月は、暑さに加え雨季まっただ中!
旅行には、少し不向きです。
次に冬休みですが、マザー・テレサの施設がある
コルカタは、冬には10度前後まで気温が下がります。
やはり、不向き。
で、春休み。
40度以上の最高に暑くなる4~5月前の3月は、
暑くても、40度前後、しかもベタベタの日本に比べ、
乾季のため、過ごしやすい。
とゆうことで、春休みに決定!
バイトや英会話を始めた一年後の看護学生2年生が終わる
春休みに目標を設定しました。
そして、最後の難関。
■問題4:周りの許可
いつかのブログにも書きましたが、
意外とマツコ
「箱入り娘」なのです。
家がお金持ちというわけじゃなくて、厳しい……とゆうか固い。
例えば、
高校卒業するまで、友達の家に泊まりに行ったり、
泊まりに来てもらうことは禁止。
あえての門限はありませんでしたが、だいたい19時には家にいました。
別にそれを不満に思ったこともないし、それが普通で育ったので
まあ、それはいいんですが、
とりあえず、インドの件は絶対反対されることは目に見えていました
で、考えついたのは、
反対する余地を与えない準備をする!
そのためには、上記の問題1~3を完璧にクリアすることが絶対条件でした。
頑張りました。
今、思い返してもあんなに熱意を注いで生きた時間はありません。
(もちろん学校もちゃんと頑張りましたよ)
問題1~3を1年かけてクリアし、日程を自分で組み立て、
プレゼンをし、もちろんはじめは反対されましたが、
最後は許してもらえました。
しかし、敵は他にもいたのです…
それはそう、今世間を騒がしているエボラ出血のように
当時大流行していたものと…
と、ついつい長話になってしまいました。
この続きは、また次回♪
マツコ