Vol.0031 「だいじょうぶ」は、おまじない。 [2014/05/15更新]
五月も半ばになり、4月に就職された新人さん達も
そろそろ病棟に慣れてきたところではないでしょうか?
そんな新人さんへの教育スケジュールですが、
近年は、病院によって本当にバラバラです。
まだまだ研修の人もいれば、完全シャドーの人、
清潔ケアのみしている人、受け持ちを持って働いている人、
すでに夜勤にも入っている人もいます。
夜勤に関していえば、
夏以降にデビューする病院が増えてきています。
夜勤デビューが早ければ早いほど
離職率が高いからだと聞いたことがあります。
マツコの場合、まだまだキビシイ時代だったので
ゴールデンウィーク明けには受け持ちを持ち
今の時期には、準夜勤、夜勤の見習いに突入していました。
しかし正直、当時の新人マツコは
自分がそこで一日生きることだけで精一杯でした。
そんなマツコが準夜勤を独り立ちして2回目くらいの時でした。
18時の配膳までの間に、バイタルを測って夕方の点滴を作って
食前の血糖やインスリン注射・お薬を配って…
という新人にとってはてんこ盛りの仕事を
患者さんの病状の優先順位を踏まえての
タイムスケジュールを立てることができないまま
ただただ時間に追われてパニックで仕事をしていた時に、
日勤で帰り際の先輩が
「大丈夫?」
と声をかけてくれました。
しかし、何が大丈夫で大丈夫じゃないのかも判断つかないくらい
ごっちゃになっていたのに、マツコは先輩に
「大丈夫じゃないです。」
という甘えを出す勇気がありませんでした。
そこが間違いでした。
「大丈夫じゃない」と言うことは、甘えではなく
“報告・相談”という仕事の大事な一段階だったのです。
本当は、ギリギリの崖を歩いているのにそれさえ気づかず、
ちゃんと荷物を順序立てしてパッキングをしてから
慎重に進むべきところを、
両手いっぱい滅茶苦茶にスーパーのレジ袋に入れて
ただただ時間に終われ、崖っぷちを走って
案の定、足を滑らせてしまいました。
今でこそ、歳を重ねたぶん
そんなごっちゃごっちゃでいっぱいいっぱいの時は、
「大丈夫じゃありません」
と言うことが危険を回避する一歩であると
自信を持って言えます。
SOSは、自分で出さなきゃ伝わりません。
自ら発せず、気づいてもらうのを待つこと
それこそが甘えなのです。
とはいえ、とりあえずSOSを出せたらそれで良し!
と言われるのは、相談ができる人が上に沢山いる人までです。
ある程度大人になった
年齢が病棟の平均年齢を超えてしまったくらいからの人が
「大丈夫じゃない」
って言えることって、所詮、
そう言っても許される
だいじょうぶの範囲内です。
大人になればなるほど
大丈夫じゃないことばかりです。
実は、若者が大丈夫だからと言われて
いきなり自分じゃ無理だと思う仕事を任されて
野っ原に狩りに放り出されるように感じる時は
よくよく見れば
草原に隠れてみんなが見守ってくれています。
テレビのはじめてのおつかいみたいなものです。
当の本人にとっては、大事件、大冒険で
たったひとり
泣きながら進んでいるけど、
実は沢山の大人が回りで右往左往しながら
見守っているという…。
そういえばマツコも
スーパーナースに入りたてのころ
上司にはじめてのおつかいならぬ
はじめての支払いを頼まれて
隣の駅の文具屋さんに出掛けたことがあります。
病院でしか働いたことがないマツコにとって
そんなことすら初体験で本当に緊張しました。
送り出す上司と経理担当の方から
「心配」という言葉が滲み出ているのがわかるくらい
頼りのないおつかい役でした。
30歳を超えて、本当に恥ずかしい限りです。
案の定、会社を出て数十メートルで
いきなり真逆に進みだしていました…。
が、今やスマホの時代!
機械に助けられなんとかミッション達成☆
今思えば、全然大したことじゃなかったのですが、
間違えたら…粗相があったらどうしよう…と
新人OLマツコにとっては大事件・大冒険でした。
時々、口癖のように後輩に
「大丈夫?」と聞く人を見かけます。
それは、その人の優しさから出る言葉なのですが
残念ながら、その尋ね方は決して投げ掛けられる側には
優しくないな…と思います。
なぜなら、その言葉を受け取る側の多くは、
「大丈夫です」
としか言えない立場の人達だからです。
どうかもし、あなたが「大丈夫?」と誰かに言う場合、
言葉だけで大雑把に投げ掛けるのではなく
“ここは、つまづくポイント”
“これは理解できているか”など
あらかじめ、
“大丈夫じゃないこと”
を想定して尋ねてあげてください。
マツコは、この「大丈夫?」単品の聞き方は
あまり好きじゃありません。
それならば、「今、パニくってない?」とか、
「焦ってもいいことないよー。何で迷ってるの?」など、
あなたの状況わかってるよ、一緒に考えるよという気持ちが伝わる
言葉がけをするように心がけています。
新人の時のあの「大丈夫?」が運命の分かれ道だったと
今でもそう思うから。
もちろん、ハテナで聞くだいじょうぶではなく
「だいじょうぶ」
と肯定してくれるだいじょうぶもあります。
マツコが初めて院内の看護研究の発表をする順番を待っている時、
ド緊張で顔が強張っているマツコの横に座って
マツコのプリセプターがずっと背中をトントン叩いてくれながら
「だいじょうぶ だいじょうぶ」
と言ってくれました。
それでも、緊張で話す声は震えていましたが
とても心強かったのと、
当時は、もう三年目でプリセプティーもいる立場だったのに
いつまでたってもプリセプターにとっては
私は、プリセプティーでまだまだ心配してもらえる方なんだなぁと
なんだか気恥ずかしく甘酸っぱい気持ちと
甘えられる場所があるんだ!という嬉しい気持ちで
胸がいっぱいになったのを覚えています。
「だいじょうぶ」という言葉は、おまじないみたいなものです。
世の中大抵、大丈夫じゃないことばかり。
それでも人は、この言葉を使いたがる。
誰かのために。
自分のために。
それは、冷たいこころで使うときもあるし
優しいこころで使うときもあります。
どうか、あなたのための
だいじょうぶが
優しさで溢れていますように。
あなたが使う
だいじょうぶが
誰かを助けるものになりますように。
マツコ