みなさま、ナンガ デフ?
フリーランス看護師のファトゥです。
今回のブログは、寄り道なしで、前回の続きでいくつもりです。が、どうなるか、、(m(__)m)。
前回のブログでは看護師人生前半戦の途中、
看護師として2年働いたあと、文学部に編入して、
そのあと受けた就職試験(中堅総合病院)で「不採用」だったところで終わりました。
(なんで看護師が文学部に編入??っていうのも後述します)
あの時の病院面接を振り返ってみます。
確か、筆記試験もあったのですが、記憶に残っているのは面白かった面接のことだけ。
面接には、看護部長、たぶん事務長、そして病院長らしきドクターがおりました。
看護部長からはストレートに、「どんな看護師になりたいですか?」と聞かれ、
事務長からは、「大学病院を辞めて文学部に行かれたのはなぜですか?」と聞かれ、
最後に病院長らしきドクターからは、「趣味は何ですか?」(おー、趣味ときたか、、)と聞かれました。
<病院長との対話>
病院長:「趣味は何ですか?」
私:「映画を観ることです。」
病院長:「どんなものを観ますか?」
私:「たとえば、男と女は好きです。」
病院長:「あれはいい映画ですね。僕も映画は好きですね。映画はいい。」
(私は根っからの映画オタクで、ミニシアター系の映画館に、フリーランスになってからはだいたい月2回くらい行ってます。臨床にいた頃は、2.3カ月に1回。ポーランド映画とか、フィンランド映画とかを観ます)
病院長とのこのやり取りで、これは採用だろう!
と思ったのですが、、、
ダメでした。
当時は、
「えーっ??不採用って、あたしはどこで修業を積めばいいいんだ?!!
北海道めっちゃ好きなのにどうするよ…」
って思いました。
北海道の中では大都市である札幌で就職できないって、どこに行けばよいのか。。
とほほ、と。
しかし今思うと、あの時の不採用のおかげで、わたしは北海道を出て、大洋に出るチャンスを得たと感じます。
視界がグンと広がって、アフリカまで見渡すファトウの始まりに繋がったというか。
看護部長さんはもしかすると、その可能性までもみてくださっていたのでは…と思ったりします。
ここで、いま、進路に悩める方にお伝えしたいのは、
その時の「思考」や「結果」が全てではないということです。
あとから、あの時、×だったことが、今の自分のここに繋がってるということが、案外あります。
だから入試や採用試験でそのときダメでも、落ち込む必要は全くないです。
人事は水ものでしかありません。
さて、文学部卒業も近くなり、進路に悩んでいたころ。
当時の文学部の先生が、京都大学に何やら面白い大学院があるらしい。
行ってみたら?と教えてくれ、調べ始めました・・・。
医者が医療倫理学を教える講座があるとのこと。
君のやりたいことにぴったりでは?というススメでした。
ふむふむ、え、?
京都大学医学研究科、偏差値over70って無理だろー。。
そうなのです、私は北大文学部哲学科で医療倫理学を学んでいました(偏差値60くらい)。
医療倫理学。なぜ?
1997年、日本で脳死が人の死として認められることが決まりました。
その時私は看護学生の2年目でした(関西では2回生と呼ぶ)。
「脳死とは何か。」
医療倫理学ではそういうことを考えます。
生物学的事象としては説明可能な事象であっても、人間が感覚的に、
本当にそれは正しいのかと疑問に感じることについて、思考することの論理性や、物事の善悪を問う学問。
医療倫理学が扱うテーマは本当にいろいろあり、
『人工妊娠中絶は認められるか』
『安楽死は認められるか』
『クローンはどこまでやっていいのか』
『無益な延命治療の無益とは何か』
など。
日本の法律では、医学上脳死と診断された方を、亡くなっているとみなしてよいとなりました。
脳死の方の身体の一部を、不治の病の方に移植する。
不治の病と思われていた方が、移植によって新たな命を吹き返す。
臓器移植に関しては、様々な意見が、いまなおあると思います。
私が知りたかったことは、
看護師として、人間として、「私」は脳死を人の死と認めることができるだろうか。
カラダは温かくて爪も髪も伸びる、
そのカラダから、臓器を取り出せるだろうか。
自分の立ち位置と、社会の立ち位置を、自分のコトバで表して、知りたかったのです。
そして私は看護師免許をとったあと、文学部哲学科に編入しました。
(次回に続く。。。)