Vol.0053 女ひとりインド旅6~聖なる川と生と死~ [2014/10/30更新]
マザー・テレサの施設でのボランティアを
約1週間行ったマツコは、
いよいよ「ひとり旅」に出ることになりました。
今までは、
インドの母や旦那さん、
運転手さんや同じ宿に泊まっていたお客さんと
共に行動し、守られていましたが…
これからは本当にひとりです。
ちなみに、マツコのひとり旅計画は、
インドの母に滅多切りにされ、大幅に修正。
当初のマツコ計画は、
「危険地帯に深夜に到着する汽車」だったり
「詳しい予定も立てず、フラフラする日」があったりと、
おそらく、そのままでは
「ものすごく怖い目」に合っていたと思います……。
インドの母が修正してくれたマツコの旅は、
基本は、インドの母の友人を訪ね、
インドの母に託されたお使い物を届けるというもの。
“インド版、はじめてのおつかい”です。
「何かあったら電話するんだよ」
とインドの母の電話番号をもらい、いざ出発!
寝台列車で、まずはインドの聖地、ガンジス川へ!!
と書くとワクワク楽しそうですが、
もうここからはひとり。
誰も守ってくれません。
自分で自分を守るために、
この寝台列車の旅では色々気をつけました。
◇物乞いには応えない。
→色々な方が寄付を要求してきます。
目が合ったら最後と思い、
とにかく「見ない」ことに徹しました。
◇ペットボトルや食べ物は、窓際などに置きっぱなしにしない。
→睡眠薬などを入れられ、眠り込んでいる間に盗難にあう。
◇寝るときは、リュックをシーツの下に入れて枕にし、
貴重品はお腹に入れて丸まって寝る。
→とにかく誰も信じなかった(笑)
しかし、インドの母の助言もあり、
当初予定していたものよりも、
グレードの高い車両にしたためか、
お向かいさんは、スーツをビシっと着こなした紳士でした。
持っていた携帯電話を私に見せてくれ、
マツコのつたない英語で少し会話をした記憶があります。
とはいえ……
心を全て許したわけではありません!
上に書いたように、
「自分の身は自分で守る」ことに必死でした。
と言いつつ、夜は熟睡してしまい(…笑)
目が覚めるたら、いよいよガンジス川があるバラナシに到着!
汽車を降りると、オートリクシャと呼ばれる
たくさんの三輪車タクシーの運転手達に囲まれてしまいました。
「俺のタクシーにおいで」と寄ってくる運転手達に向って
「ノーセンキュー」
とひたすら真顔で、
前を向いたまま早歩きを続け、
駅の横でやる気がなさそうにボーっとしている
若者の運転手に声をかけました。
そう、マツコが決めた(勝手な)マイルールで、
ひとり旅のあいだは、
「やる気がなく、何かあったらマツコでも勝てるかもしれない
ちょっぴりひ弱そうな人」
を運転手にすることにしていたんです。
日常生活でも同じことが言えますが、
ガツガツ来る人は、裏がありますからね(偏見?)
しかし、このマツコの選択、
ちょっと甘かったようです。
駅から目的のガンジス川を渡り、
お使い先のお寺に向う途中
ひたすらずーーーーーっと、
この運転手に肩を抱かれ
「marry me?」
と言われ続けました。
吸い込まれそうなクルっとした目。
思わず「yes」…
って言いませんでしたが(笑)
そう、インドで女性がもう一つ気をつけないといないことが、
こういう恋愛詐欺や、最悪レイプです。
だけど、マツコはこの対策もバッチリ立てて行ったんです。
その名も
「ボーズ作戦」
その名の通り、坊主、とは言わないまでも、
「スポーツ刈り男子」のような超短髪!
看護学校の先生に、
「それじゃナースキャップがかぶれないじゃないの…」
と叱られたくらい。
おかげで、当時お付き合いしていた方が
しばらく「音信不通」になったくらいです(泣)
インド男子を近づけないための、超短髪。
しかし、
インドの男子には結婚を申し込まれ、
彼氏には逃げられる、
という本末転倒な「ネタ作戦」になってしまいました…。
(注:本人はネタを狙っているわけでなく、常に真剣です)
そんな事情があったからこそ、
どれだけ甘い言葉で、素敵な目でささやかれても
「その言葉はアンタから聞きたいんじゃないっ!」
と、超冷静に考えつつ、
「次に頼む運転手は、おじいちゃんにしよう」
と心の中で決めました。
ひたすら、愛の言葉を掛けられながら
どうにか着いた、おつかい先。
ちゃっかり、
お昼ごはんをごちそうになり、
徒歩でガンジス川を目指しました。
カンカン照りの太陽の下、
左手にはあのガンジス川、
右手には、たくさんの人達が色んなことをしていました。
散髪、食事の準備、お昼寝、お祈り…。
川岸では、洗濯をしている人たちのすぐ横で
牛が水浴びをし、
その横で、川に入っている人もいました。
子どもが亡くなった時などには、
その亡骸をガンジス川に流すそうです。
(マツコが歩いた時には、それはありませんでしたが)
ガンジス川は、
全ての命のその様を許し、包み込むように
ただただ大きく、ゆったりと流れていました。
不思議なことに日本人には一人も会いませんでした。
異国の地で、たったひとり。
生も死も全てを飲み込み
流れ続ける聖地と呼ばれる川べりを歩いていると、
インドまでの道のり、
インドに来てからの出来事が色々思い出され、
なんだか泣きそうになりました。
当時のマツコはかなり若く、無鉄砲で、
怖いこともさほど知らなかったお子ちゃまでしたが…
やはりそれなりに緊張していたのでしょう。
マザー・テレサの施設での体験は、
ショックと考えることがとても多く、
日本で自分が少なからず見ていた生と死と、
インドで目の当たりにした生と死について、
葛藤していたんだと思います。
でも何だろう。
ガンジス川とその横で生活している人や動物の中に
自分も入り込んで歩いていると
ちょっと前に流行った言葉じゃないですが、
ありのままに生きているだけ
なのだと思いました。
とってもシンプル。
ついつい、
自分が一生懸命準備して来たインドに
何か意義のようなものをつけたくなってしまっただけで
私は、インドに来たいから来て、
ボランティアをしたいからした。
施設にいた患者さん達も生きたいから最後まで
生きることを全うしていた。
そして、今、マツコは
ガンジス川に来たいから来て、そこを歩いている。
ただ、それだけなんです。
きっとそれはインドとか日本とか関係ない。
みんな同じ。
自分の今の苦しい状況とか
つらい出来事についつい人は理由をつけたくなるけど、
幸せなことにも、
「運命」なんてロマンチックな言葉を当てはめたくなるけど、
そんなことも全部、シンプルに
「自分が選び歩んできた道の上に、なるべくしてなっただけのこと」
なのだ、と思いました。
ガンジス川でマツコが過ごしたのは数時間だけ。
沐浴こそしなかったけど、
なんだか身もココロもすっきりと
洗い流された気がしました。
夕方には、駅に戻りまた夜行列車で移動。
次回は、いよいよコルカタで購入したチェーン大活躍の巻!
お楽しみに~!!
マツコ