女ひとりインド旅4 ~死を待つ人の家~ [2014/10/02更新]
隔週でお送りしております「マツコのインド旅行」ですが、
気づけばもう4回目…
なのに、未だに目的のマザー・テレサの施設に
行けてないという…(笑)
ということで!
いよいよ行っちゃいますよ!!
いざ参らん、マザー・テレサのもとへ!
……その前に。
マザー・テレサをあまりご存じない方に
簡単な豆知識♪
マザー・テレサとは?
カトリックの修道女で、インドのコルカタを中心に
貧しい人々のために、献身的に奉仕した人として知られています。
1979年にはその功績が称えられ、ノーベル平和賞を受賞しました。
≪ボランティアを募集しているインドのマザー・テレサの施設≫
◇シュシュ・バハン(孤児の家)
◇ダヤダン(ハンディキャップを持つこどもの家)
◇カリガート
(死を待つ人の家とも呼ばれ、マザー・テレサが一番はじめに作った施設)
◇プレム・ダーン(後天的障がい者の家)
◇シャンティー・ダーン(女性、精神障がい・精神薄弱者の家)
◇ナボジバン(幅広い年齢の先天的障がい者の家)
この施設の中でも、マツコが訪れたかったのは
シュシュ・バハンと呼ばれる孤児院でした。
しかし、こちらの施設は、
マツコが訪れた当時は、ボランティア希望者が多く
長期で入ることができる人限定で、
数日しかボランティアができないマツコにはその資格はありませんでした。
よってマツコは、マザー・テレサ施設の原点でもある
“死を待つ人の家”
を希望することにしました。
まずはマザー・ハウスと呼ばれる本拠点でオリエンテーションを受け、
ボランティア登録を行い、登録証と、メダイ(一円玉サイズのメダル)を受け取りました。
(このメダイ、10年以上肌身離さず持ち歩いていたのですが、失くしてしまいました…悲しい…)
そして翌日。
死を待つ人の家を訪れました。
マザー・テレサの大きい写真の前を通って中に入ると
右手が女性、左手が男性の部屋に分かれています。
それぞれ、自分の性別の方に分かれてボランティアを行います。
コンクリートの上に簡易ベッドが並べられ、
50人ほどの女性が大きな広間でそれぞれのベッド上で横になっていました。
ボランティアの仕事は、
洗濯・お風呂の介助・排泄の介助・シーツ交換・配膳&下膳
マッサージ・話し相手などなど。
患者さんの多くは横になり、
自力で歩くことはもちろん
起き上がることもままならない状態でした。
中には、点滴をしている方もいらっしゃいましたが、
ほとんどの方は施設の名の通り
静かに、穏やかに、死に向かって時間を過ごされていました。
多くの子供を産み育て、家族のために働き、
年老いて、働くことはもちろん自分のことも
思うようにできなくなった時、
家族に道端に捨てられたおばあちゃん。
売春婦として働かされ、身も心も病気になり、ガリガリに痩せ細り、
会話もできない状態になってしまった、まだ若い女性。
頭に大ケガを負い、適切な処置を受けられず、
傷口が大きく開いたまま、道で行き倒れていた女性。
(交通事故に遇ったのでしょうか…)
カリガートの方々の人生は、壮絶でした。
日本の小さな田舎町に生まれ、
20年間、当たり前のように誰かに守られながら育ち、
優しさに甘えて生きてきたマツコ。
色々と調べて覚悟してきたはずなのに、
はじめの一歩から踏み出せなくなってしまいました。
そんな時、
一人の方がベッド上で便失禁をしてしまいました。
マツコがいた場所から少し離れていて、
はじめは何が起こったのかわかりませんでしたが、
内容を聞き、これなら私でも対応できる!
と思い、真っ先にゴム手袋の場所を探しに行こうとしました。
その時、
マツコと同い年くらいの日本人の女の子が
素手でそれを片付けたのです。
またしても、ショック!!
特に、数日前に赤痢で倒れた人を目の当たりにしていたこともあり、
素手で汚物を触るなんて、
その時のマツコには、とてもできないことでした。
保健衛生上、感染のリスクを考えると
やはり素手ではなくゴム手袋などを使用することが
正しいのだと思います。
でも、それは物に溢れた豊かな環境だからこそできることでもあります。
限られた資源の中、ゴム手袋だって高価なものです。
カリガートは、ほとんどが寝たきりで、失禁も日常茶飯事にあります。
その都度、ゴム手袋を、日本の看護・介護で定められているような
感染対策に従って使用することは不可能でしょう。
短期集中型の性格のマツコが
長期的に計画を練り、貯金をして、英語を勉強して、
やっと来た場所なのに…
もう、ただただショックと、自分のちっぽけさに落ち込み
何をして良いのかも、自分に何ができるのかも
わからなくなりました。
きっと、身体だけでなく顔も強張っていたのでしょう。
一人のシスターが声を掛けてくれて、
あるおばあちゃんの相手をするように指示を出してくれました。
その方は、
どこから来たのか、自分が誰なのか、
痛いのか、悲しいのか、何も言わず、
ただ、じっと
吸い込まれるようなきれいな瞳を見開いたままでした。
マツコは英語を勉強していきましたが、
それはあくまで、「自分が旅をする上で困らないもの」であり、
ボランティアの対象者の方々の多くは、英語を話せない方でした。
おばあちゃんも、もちろんそう。
ただ、じっと目を見つめ合いながら手を握り
足や手をさすることしか、できませんでした。
どのくらいの時間をおばあちゃんと過ごしたのかは覚えていません。
しかし、とても静かな…
静かな時間がゆっくりと流れていきました。
会話はなかったですが、
少し潤んだようなおばあちゃんの目を見つめていると
マツコもこみ上げてくるものがありました。
おばあちゃんと向き合いながら、自分とも向き合っているような不思議な感覚。
色んな葛藤や、自分の非力さに対する情けない思いなどが、自然と消えいき、
ここにいる方々の人生で辛かったことが、少しでも緩和され、
最後に過ごすこの場所での時間が穏やかであるように、
マツコはマツコでできることをしよう、と思えるようになりました。
このように
マツコのボランティア初日は
大きなショックから始まりましたが、
おばあちゃんとの出会い・ふれあいで一皮剥け
ボランティア一歩を踏み出すことができました。
今回はここまで。
10年以上前の記憶と感情を引っ張り出すのに
想像を超える時間と、そして心を使ってしまいました。
だけど、きちんとその時その時
自分に向き合って、考えて行動をしていたことは、
忘れずに残っているものですね。
いまは、振り返りのお話を書いていますが、
現在も、ひとつひとつの自分に
毎日の出来事に、
きちんと向き合っていきたいと思います。
そうすればきっと、
なんでもないこの日常の日々も
何かにつまずいた時、立ち止まった時に、
一歩を踏み出す手助けをしてくれるものになるかもしれません。
なんて…
ちょっぴりセンチメンタルな季節がやってきましたが、
次回はなんと!
祝☆OL看護師マツコのナースブログ、
記念すべき50回目突入です☆★☆
人生ネタだらけのマツコのブログ。
次回はとっておきの厳選エピソードをお送りするはず!?
どうぞ、お楽しみに!!
マツコ